大和抹茶
お客様からご紹介いただきました
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美しさは記憶に残る
-STORY-
春は萌え
夏は緑に 紅の
まだらに見ゆる
秋の山かも
奈良時代、四季の緑の移り変わりを詠んだ和歌です。
美しくもあり儚くもある、
過去と未来をつなぐ緑。
何百年も前から日本人はその美さを感じ心得ていました。
「大和抹茶」
歴史育む大和抹茶
歴史ある古都奈良には日本茶発祥の地とされる物語があります。
空海が唐から茶の種を持ち帰り、
日本で初めて
奈良・大和の地で茶栽培を
はじめたとされています。
現在では大和抹茶は
飲んで味わうだけではなく、
様々なカタチとなりわたしたちの食文化に繋がろうとしています。

大和抹茶とは

標高300m以上の大和高原を中心に栽培されている「大和茶」
高冷地でゆっくりとお茶を育てているため、渋みがありながらも香り高く深い味わいになるのが特徴です。
大和茶はその希少価値の高さから「知る人ぞ知るおいしいお茶」と愛されています。
葛とは
吉野本葛の製法

葛は豆科の植物で、山野どこにでも生えるつる性の植物です。葉は家畜の飼料となり、茎は葛布や工芸品に、根は葛粉の原料となります。
良質の澱粉を取るためには、寒さ厳しい冬、人がやっと歩ける位の山奥に入り、地中深く生えている根を掘り起こします。その根を繊維状に粉砕して水と混ぜ、根に含まれる澱粉をもみだし、吉野晒という吉野地方独自の製法で精製したものが吉野本葛と呼ばれます。
冬の冷たい空気と水で仕上げる吉野本葛は、美しい白色をしています。1kgの葛根から最終製品としてできあがる葛粉はおよそ100gといわれます。
現在では根を掘る人も、良質の葛根が掘れる山も少なくなってきています。そのため江戸時代では澱粉の主流であった葛粉も、今では高価なものとなってしまいました。この葛を、葛の製法を守り続けていきたいと考えております。
葛の効能

秋から春にかけて葛の根を掘り起こし、板状かサイコロ状に切って、天日で乾燥させたものを「葛根(かっこん)」と呼びます。「葛根」は生薬の主原料として昔から幅広く使用されており、発汗、解熱、鎮痙作用があると言われています。風邪薬として有名な「葛根湯」には、この「葛根」が用いられています。 また、マメ科の植物である葛の根には、イソフラボンの一種であるダイゼイン・ダイズイン・プェラリン等が微量成分として含まれているのが特徴です。イソフラボンは血中コレステロールの低下に役立つ他、骨粗しょう症や更年期障害などに有効と言われています。近頃は葛根湯エキスと新薬とを配合した風邪薬が販売されています。 葛の花は中国や韓国では二日酔いの緩和などを目的とした漢方薬として使用されています。近年の研究では葛の花に含まれるサポニンとイソフラボンにアルコールの代謝促進作用があることが分かっています。
葛の呼び名の由来

昔「葛村」と呼ばれており、今でも近鉄電車の「葛駅」や、学校の名前にその名残があります。この「葛」という字は後になってクズの中国名「葛藤」の葛の字があてられたものだそうです。
同じ「クズ」で「国栖」と呼ばれる地域が、奈良県吉野郡吉野川上流にあります。日本書紀(応神天皇19年)には「国栖人(クズビト)」が、万葉集第 10巻の相聞歌には「国栖ら(クニスラ)」という言葉が出てくる個所があります。どちらも同じく大和国家以前の山地に住んでいた人々に与えられた呼び方であったようです。
国栖人は主に岩穴に住んでおり、非稲作民で、独特生活様式を身に付けたいわゆる「山人」の象徴的な呼称であったと考えられています。国栖の名は都の人々にも良く知られており、9月9日の重陽の節句に吉野の国栖人が古風の歌舞を奏したといわれております。 国栖人はつる草の根から澱粉をとり、里に出て売ることがあったので、いつしかその澱粉を「クズ」と呼ぶようになり、その植物を「クズ」と呼ぶようになったと考えられています。
食用とされるまでの歴史

澱粉の精製法がなかった時代、人々は根をしがんで澱粉を食していたものと考えられています。いまでも韓国などでその風習が残っているそうですが、とてもにおいが強く、食べ物と呼ぶにはふさわしくないようです。 かつて青森県では、[根餅]という、葛根を乾燥させて石臼でひき、小麦粉を混ぜて団子にし、蒸すか、茹でて砂糖か醤油につけて食べる方法が残っていたようです。寒冷地である青森地方はしばしば飢饉にみまわれており、このような時代、根餅は一種の救荒食として利用されていたと考えられます。「クズ」の根をつぶし、水を張った桶の中で澱粉をもみだして沈殿させ、水を入れ替えながらアクを取り除く技術(水晒し法)があみだされた後、水晒しすればそのままでは食べられなかったものや、たとえ有害物質を含む根茎類であっても、食べられることがわかり、人々は飢饉から逃れられるようになったと考えられます。また、このような植物は栽培化が試みられるようになり、農耕の着想が生まれた可能性があります。 水晒し技術では、一度にたくさんの原料を処理することができるため、工業的な要素を含んでおり、近代の食品産業の基礎技術となっています。